鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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杣人伝 その4

   

 神主の話は続いた。
この六所村の祖先の一族が、古く南北朝の時代に、九州北部の山里であった矢部という地に移り住み、その後、江戸中期の忍者受難の時にも、その移り住んだ一族の元に落ち延びたという言い伝えを代々受け継いできたが、このような近代社会になって、六所村としても、九州との交流も無く、まさか、このような話が持ち上がるとは夢にも思わなかったという。

 話は、半年前に遡るが、昨年九月の初めのこと。九州の福岡県矢部村にある御前岳という標高千二百メートル程の山がある。
 福岡県では最も高い山で、御前岳の名前は、南北朝時代に、この地で崩御された当時の皇子良成親王、後征西将軍の敬称である御前から名付けれたと伝えられる。
 その御前岳に登山した地元の高校教師が、足を滑らせて、登山道とは反対の崖を転落し、運よく木の枝がクッションとなって、命取りにはならなかったものの、腕や足を負傷してしまった。
 御前岳は、矢部の最奥部にはあるが、それほど危険な山でもなく、軽装備で登れる山で、その麓には「源流の森」と呼ばれる、八女市から有明海に至る矢部川の水源を擁する原生林が広がっている。
 その大木が茂る森林一帯がパワースポットとして人気があるが、その奥地は神聖な場所として、人が踏み入ることはないらしい。
 日曜日などは、子供連れの登山もあるのだが、その日は空模様が怪しく、他に登山者もいなかったらしい。
 教師は、暫くは動きが取れないままに陽が沈んでしまい、片足を引きずりながら、下山道を探して、更に山奥に迷い込んでしまった。暗闇に動き回る方が危険だと、とにかく夜露を凌いで朝を待とうと決め込んだ矢先に、暗闇の先に微かに灯りが見えた。
 雑草や雑木を避けながら、何とかその灯りを頼りに進むと、微かな月明かりに、木の皮を覆った屋根の数軒が見える集落に辿り着いた。
 後で分かったことだが、そこに集落があることは地元でも知られておらず、麓の矢部村から一山超えた星野村に抜ける林道の中間あたりから、東に一キロ程入り込んだ所にあったようだ。
 林道は、近くまで通っているものの、そこから、その集落までの道は無く、一か所の抜け道を除いて、全方位を深い山に囲まれ、しかも、集落の周囲は、まるでそこだけが陥没したかのように切り立った崖に囲まれており、正しく陸の孤島となっている。
 矢部村の他の村民との交流も無く、稀に見かけても一人か二人であることから、周辺の人々には昔から、植林の枝打ちという林業の仕事に来ている連中だと思われ、誰も、あえてその集落の方に足を踏み入れた者は無く、一体何人が寝泊まりしているのかも把握しておらず、地元役場でも、隣県の熊本か林業の盛んな宮崎あたりから、森林管理や木材伐採の時期だけ、住み込みで雇われてきている人々で、まさかその山中で暮らしているとは思っていなかった。
 教師は、暗くて周りが見えず、林道にも行き当らず、その唯一の抜け道から灯りを頼りに、運よく辿り着いたものだった。

 その教師は、その日は山を下りることも出来ず、取り敢えずは、その集落の長(おさ)と呼ばれる老人の家で一夜を過ごさせてもらうことになった。
 どの家も、屋根は杉の皮で葺かれ、床は高床式になっており、山谷の湿気が上がらず、冷気も凌げる工夫がされており、もちろん電気はないが、櫨の実で作ったという蝋燭(ろうそく)と囲炉裏の火で暖と明かりは取れていた。
 食料は、周辺の川で取れた「イワナ」やイノシシ、鹿肉、山菜などの自給自足だという。
米だけは、平地が無いことと、標高が高すぎてあまり採れないということで、昔は皆で作ったわらじや薪などを、村へ下りて交換して手に入れていたが、今はかろうじて椎茸や手彫り細工などを年に何度か売りに行って、その代価で米や保存のきく食料を買ってくるのだという。

 教師は、その家で夕食をご馳走になり、八十は過ぎているだろう白髪のに顎髭を蓄えた長老から、その他に、食料や衣類を補うために、山を隔てた熊本県側に昔から杉や檜を植林し、それを少しずつ伐採植林を繰り返しながら、代価を得ていると言う話などを聞いた。
 その材木の搬出や売買には、外衆と言われ、そのために、選ばれてこの集落から出た者の子孫が代々受け継いでおり、ただ、彼らも、今の世代は、その商いのいきさつや、自分がそういう一族の子孫であることも知らず、木材商として、昔からの取引で引き継いでいるとのことだった。
 しかし、そういう商いで村の生活を維持して行くことも年々難しくなっており、これだけ世の中が進めば、いずれはこの集落の存在も世間に知られることになるだろう。いずれ、何らかの決断をしなければならないだろうと、長老は自分に言い聞かせるように言った。

つづく

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