鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

   

先日、信楽から「甥」が一人で遊びにきた。
今度、大学受験も終えて、無事合格したこともあり、入学前の休みを利用してやってきた。
甥は私の弟の一人息子。嬉しいやら悲しいやら、我が家の息子達と同じDNAを疑わない性格だ。
弟夫婦、上田家にとって、婚姻後15年目にできた宝物。

弟と私は、歳が6歳離れており、ある時期まで弟がいた記憶があまりない。
恐らく、歳が離れていたのと、私が学生の頃は友達が多く、弟と遊ぶこともなかったせいだと思う。姉が二人いたので、後で聞くと、姉たちがペットにしていたらしい。
 ある時期というのは、私の父は農業をしていたが、元々は戦前、日本が中国進出の足掛かりとして設立し、最大の鉄道会社と言われた満州鉄道の社員で、戦後帰国してから、みかん栽培を始めたということで、あまり農業向きではなかったようで、当時も結核で入院していた時だった。
 弟は、久留米高専という国立の5年制高校に通っていたが、ある時、その高校の先生から、親代わりとして呼び出しがあった。
先生が言うには、弟が学校を中退したいと言っていると言う。その時、弟の存在に気付いた(笑)
弟に話を聞くと、このまま居ても、将来の姿が見えない。陶芸の道に行きたいという。
弟に言わせると私が陶芸を勧めたと言うが、私の得意なゲイの道ならわかるが、陶芸を勧めるはずがない。
 まあ、家族親戚、周りは当然反対したが、私はあっさり賛成した。一生一度の人生だ。
結局、あちこちの窯元で修業しながら、紆余屈折の末、由緒ある茶陶の窯元の娘さんと縁があり、今は5代目を襲名して先生と呼ばれるようになり、三越や高島屋などで個展をするまでになった。
 何が良かったのかなぁと思うが、私から見ても、歯がゆいほど私欲がない。気が長いというか、のほほんとしている。 何と言っても、人に恵まれる運があったのだと思う。
先生と呼ばれても、兄としては、何時までも弟。いつまでも心許ないものである。

 - 雑記

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