鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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722 春の嵐

   

昨日は、想定外の暴風が吹き荒れた。ちょっとした台風並みの雨風で、昨夜は一晩中荒らして、ようやく今日の10時頃になって治まった。想定外と言っても、ちゃんと天気予報では強風が吹くことを予報していたが、想定が甘かっただけ。特に被害は無かったが、例のバーベキュー小屋に設置していた安物の塩ビのカーテンを念のため留めていた所が殆ど破けてしまっていたくらい(笑)   

八女市にも昨日、嵐が吹いた。報道やネットで既に公表されて周知のところだが、市内の中学の教師が盗撮を含めた、教師としてあってはいけない行動をして検挙された。こういう事件があると、必ずその管轄の教育委員会というところが監督責任として謝罪することになる。確かに、企業で言えば社員と社長のような関係だから、部下の不祥事を上司が謝罪することは当然かもしれない。しかし、人の行動には周りから、例え親でも夫婦間でも気付けないものもある。当問題のように、一種の特殊な趣味ともいえる盗撮。児童の写真などを集めると言う、これも趣味と言えば趣味。病気と言えば病気。99%の人は、その欲望を人の理性で抑えるのだが、1%の人は、それが教師であっても警察官であっても、人間として負けてしまう人はいる。   

教育委員会というところは、学校施設の建築から統廃合、地域のスポーツ振興から文化芸能保存、教科書問題から教育問題と市の中でも、もっとも管轄の広い部署。もちろん、今回のように、教職員の配置や昇格もその管轄に入る。教師の教育はその学校の校長が責任者であるが、その校長を選任するのは教育委員会。更に、その地区には教育事務所というものが置かれ、そこでも教師の教育や人事について管理している。とは言っても、大人であり教師としての免許を取得した教師に対して、教育するのは、教育者の心得や教育の進め方などであり、その個人が秘めている本質や趣味について本人が告白しない限り、それを見出すことは無理といっても過言ではない。このような性癖をもった人間は、今日明日持ったわけではない、恐らくは教師になる前からのことだろう。とはいえ、春の嵐で敗れたカーテンを反省して破けないようにするのと同じように、教育委員会としても、同じことが繰り返されることのないよう対策を講じなければならないし、その作業は既に開始されているだろう。 

教師と言う職業に対する考え方も変わってきているし、まず、教師になろうという人間が激減している。30年も前は、教師になる競争率が3倍4倍だったのが、今は1倍台前半。選べない水準だ。なぜ、教師を敬遠するようになったか。一つは勤務が長時間に及ぶこと。次が生徒の質が変わって、(先生の質の低下が先かもしれないが)、教育が難しくなったこと。親のクレームが増えたり、不登校やうつ病の生徒などが増えて対処できなくなったことなど。  

私も、昨年から一般人からの推薦として教育委員という立場にあり、教育委員会に諮問したり意見を述べたりする立場にあるが、八女市の場合、教育委員会の組織も、私立小中学校の状況も頗る健全に運営されており、市も教育に対して積極的に投資しており、誇らしいと思っていた。それでも、こんな事件は起こる。残念だが、どこで起きてもおかしくない事件と言っていい。    

親が親としてのあり方が分からず、虐待や教育放棄をする。教師が教育の仕方が分からず精神衰弱する。経営者も経営道徳を忘れ利益追求に奔走したり、私利を増やしたり。国会議員も初心を忘れて収賄に走る。ようやく、私がずっと望んでいたこと。義務教育でも道徳教育が正式な教科として時間がとられるようになった。今からでも遅くない。日本人が世界から尊敬されるその根源を忘れてはいけない。

 - 雑記

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