鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その9

   

 第四章 駅伝中継

 早いところでは、桜の花が咲き始めた三月最後の日曜日、東京では関西地区の大学の駅伝大会が行われていた。
 代々木の競技場から、皇居を回って代々木までの往復八区間をタスキで繋ぐ恒例の大会で、地区大会ではあるが、かなりレベルも高く人気のある大会であるため、テレビでも中継で放送されていた。
 朝早くから選手や関係者が集まり、選手の家族や友人、学校関係者や、各大学の応援団などで競技場は熱気に溢れていた。
 テレビは、開会式の国旗掲揚から主催者挨拶、来賓挨拶、選手宣誓を紹介して、その後選手がスタートラインに並ぶ様子を映し出していた。

 中央日報の記者室では、スポーツ番の記者やデスクが、大学のスポーツ大会と言う独特の寛いだ雰囲気の中で、椅子に持たれたり、机に腰掛けたりして半分はスポーツ紙の競馬欄を見ながら、そのテレビ中継を見ていた。
 数台のテレビが置かれた机の上には、昨夜食べた出前のラーメンのどんぶりが、そのまま無造作に置かれ、普段は喫煙室でしか吸わないたばこの灰皿も、この日は堂々と陣取っている。
 この仕切られた空間にいる三人の記者の他に、五、六人があちこちのデスクで電話したり、パソコンを見たり、ペンを走らせたりと、毎度の日曜の記者室の風景である。
 中継のカメラは、一号車から三号車までついており、それぞれが第一集団から前後そして側面からと、慣れたフットワークでその走りを伝えていく。
 
 スポーツ記者というのは事件を扱うわけではないので、その平和のシンボルでもあるスポーツのゲームの中に目を凝らし、耳を立て、同じ出来事を他社よりいかに読者の目を引き付けるかが勝負になる。
 マラソンや駅伝と言う長距離走は、中継中に大きな変化があるわけでもなく、稀にあるとすれば、新記録が出るか、数人をごぼう抜きする選手が出る。面白い記事としては、水分補給時に選手同士が接触して転倒したり、脱水症状でコースを脱線したりという場面はあるが、前もって予想できるものではない。

 その代々木の競技場の応援席に、私立品川高校の校長である関矢が家族を伴って来ていた。家族と言っても、妻と子供と思われる少年と三人だけである。
 周りから見れば、子供にしては歳が若いが、孫にしては大きすぎる、晩くに授かった子供と言う感じであろうか。
 この日は、関矢がまだ高校でクラスを持っていた時の教え子だった佐伯が、明治大学の三年生で一区を任されており、大学最後の大会になるかもしれないからと、知らせをもらって応援に駆けつけたのだった。
 それに、関矢は少年にこのような大会を見せるとともに、大勢の場に馴染ませたかった。
やがて、一区を任された選手たちが、羽織っていたガウンを脱いで、スタートラインに集まってくる。三月も終わりだが、まだ朝の内は肌寒い。
 駅伝は、それぞれのチームの戦法で、強い選手をここぞという区間に配置するが、やはり勝負を左右する一区と最終区間には、それぞれ最強選手を配する。
 関東約六十校から選抜出場の二十八校、シード校五校の三十三名が一斉に動き出した。
同時に、観客席から拍手や声援、応援団の太鼓や楽器の音が鳴り響く。
 その中を、選手団はトラックを一周して一般道へと飛び出して行った。

 その時、関矢があっと言うような表情をして、ポケットから包みを取り出して言った。
「しまった、佐伯君達に、せっかく貰ってきた六所神社のお守りを渡すのを忘れた」
「あらあら、せっかく朝倉さんにお願いして貰ってきてもらったのに、車で追いかけてもレースの途中じゃ渡せないでしょう」
妻の清子が慰めるように笑った。
 関矢は、残念そうに包みを握りしめて「そうだな、せっかく選手全員の分貰ってきてくれたんで、走る前にみんなに渡そうと思っていたんだが」
自分を責めるように、紙包みを持った手で何度か膝を叩いて、観念したように「仕方ないから、走り終わってから、ご苦労さんと渡すか。何にでも効く神様だから、これから就職もあるしな」
 二人のやり取りを聴いていた少年が立ち上がって言った。
「僕が届けます。明治大学の皆さんですね。あの紫にMのタスキの」
そう言うと、関矢の手からその包みをスッと取り、応援席を最下段まで駆け降りると、そのまま下に人がいないのを確かめて、ひょいっと手すりを越えて飛び降りた。
 関矢夫婦は唖然としたまま、後を追う間も無かった。
「おい、届けると言ったって、彼はこの辺の地理もしらないんだぞ」
関矢は、困った顔で清子と顔を見合わせた。
 周りに残っていた人々も、あっという間の出来事に、三メートル近くもある高さを飛び降りた少年に驚いたものの、お互いに知らない者同士が、それぞれに顔を見合わせてざわついただけで祭りの後のような静寂な競技場に戻った。

つづく

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