鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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当たり前

   

 当たり前というば、当たり前体操!当たり前田のクラッカー!を知っている人は昭和原人だ。

世の中には、自分の過ちでもないのに身体の不自由な人がたくさんいる。
五体満足な人間は、特別な場面に遭遇しない限り、それが極当たり前と思って毎日を過ごす。
 人は、生活や仕事での些細な不満でも、自分は恵まれないとか幸せでないというが、この当たり前のことが、どれだけ幸せなことか、自分がそんな目に会わないと、確かに実感できないのも仕方ない。
 目が見えない、手足が動かない、歩けない、そういう身体の不自由な人達にとって、どれだけ有難いことなのか。
恐らく、目が見えない人は、目が見えたら、それ以上何も望まない! そう思うだろう。 
 だから、私たちは、もっと自分の幸せに気付くべきで、そのことに感謝すべきだ。

真夏日に暑い暑いとこぼすが、外に出られない人もいる。
自分の子供が、運動会で遅いと嘆くが、走れない子供もいる。
今日の飯はまずいと文句言う人もいるが、口からものを食べられない人もいる。
うちの子は、頭が悪いというが、障害で学校に行けない子もいる。
春夏秋冬の四季があり、紛争もない、銃も無い日本に生まれたこと。今中東やアフリカで紛争におびえている女性子供にすれば天国のようなこくだろう。でも私たちは、当たり前のことだと過ごしている。

ゴルフが下手と嘆くが、ゴルフができない人に叱られる。下手なのは練習不足であって、誰の所為でもない。
そうだ、私も、ゴルフができるだけ有難い。スコアはいいか!それもちょっと違うかも。
足の長さに不満を言うのも止そう。

 とにかく、もう少し自分の与えられている有難い事象を見直して、当たり前の幸せについて見つめ直そう。

 - 信念, 雑記

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