鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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765 癌記念日

   

ブログを以前から読んでくれている人には重複するが、私が末期癌と宣告を受けたのが、昨年の6月28日。その前の5月末の土日に、仲間と九重登山し、下山後に胸に違和感を覚え、咳が出始めたのがきっかけ。しかし、6月は、丁度ベトナムとタイへの出張が続き、病院に逝く暇がない。帰国後、かかりつけ医に行き、レントゲンで肺の異常ということで、市内の公立病院で検査を受けた。その後、帰宅していたら、電話がかかり、至急精密検査したいという。結局その結果、肺癌、しかも膵臓癌からの転移で、ステージ4.私が会社のこともあるので、正直に(笑)残りどれくらい生きれるか教えて欲しいというと、何もしなければ4か月という。今回は、その後から今日までの1年間の振り返り。       

それからは、実質活動3か月と思って、会社のことや家庭の準備を始めた。会社は幸い、その年の9月に社長職を後輩に譲ることを役員には話し、そのための新しい人事体制も整えていた。7月決算9月申告とい時期だったために、9月までは、出来るだけ通常に出社することにした。私は、会社の最優先課題は、社員の協調協力と信じ、社長になってからは、出来るだけ幹部や社員の会合の機会を設けるようにしていた。その一番大きなものが、毎年、結婚式場を貸し切って、全社員約100名で行う研修会兼親睦会。前半は真面目に勉強や発表会をして、後半は講演、または音楽や踊りなどの鑑賞。そしてその後は、ひたすら食べて飲んで親睦を深める。金に糸目はつけない(笑)。昨年9月のこの席で、癌であることをみんなに知らせ、9月の総会において新体制に移行することを発表した。      

家庭の方では、まだ結婚していなかった娘が、何とか花嫁姿を見せたいと、癌が分かった1か月後に結婚式を挙げてくれた。今年の9月には待望の3番目の孫娘が誕生するらしい。昔から、私と似て行動は早かった(笑)。    

当初は、4か月の時間だったら、抗がん剤などの副作用で苦しみ、自由が効かないまま逝くより、何も治療せずに、最後は緩和治療でいいかなと思っていたが、周りの気持ちは、そうもいかず、取り敢えず紹介された温熱治療を受けるために週一で泊まりで、8月、9月を久留米に通った。その後地元の公立病院に保険適用が認められている、ちゃんとした温熱治療器があるというので、10月と11月は、同じく週一で治療した。これは癌細胞が42度以上で死滅するという原理を利用したもの。ただ、やはり、これだけでは数値が下がらない。本来、抗がん剤や放射線と併用して効果が上がるものらしい。抗がん剤副作用の辛さは癌患者から聞いていたが、人によって差も大きいというので、一か八か受けてみようということで、12月初めから2種類の抗がん剤投与を始めた。       

その間、ゴルフもやり、教育委員会、少年補導委員会も務め、8月下旬には、毎年海外旅行を続けている友人3夫婦で、近場ならと韓国旅行。9月後半には、最後の海外かも知れないと、カミ様と2人でアラブ首長国連邦のドバイに行った。10月は魚釣り旅行。11月は娘婿の実家の岩手県を訪れた。業界の会合もまだ通常に参加できた。これらは、まだ抗がん剤治療を始めていなかったので出来たことだった。もう既に賞味期限の4か月が過ぎていた。      

抗がん剤を始めると、最初は、こんなものかと思っていたが、投与を重ねるごとに副作用が酷くなった。頭髪は抜け、爪が黒変。白血球が激減し、血糖値は異常に上がる。味覚が分からなくなり、食欲不振と倦怠感。腹痛胸の痛みなどなど、絵にかいたような副作用が続く。しかし、癌の大きさを表す数値は大幅に減少した。このころカミ様と話していたのは、果たしてどちらがいいのか。        

そんな中、有志が、私の油絵の個展を計画してくれて、1月と2月、それぞれ別な店でやってくれたのは、励みになった。      

余命4か月と言われたが、とうとう1年が過ぎてしまった(笑)。何が良かったのか。一番はみんなの励ましで元気づけられたこと。気持ちはいつも前向きだったこと。抗がん剤の前に温熱治療をやっていたこと。そして、病院の都合で転院させられたが、幸運にも変わった担当医が名医と言われる医師で、それまで悪さしていた胆管を修復し、抗がん剤の変更で、随分副作用が軽減したこと。膵臓癌の抗がん剤治療後の生存率は最も低く、完治するとも思っていないが、この程度の副作用なら、うまく付き合っていけるような気がする。   

今までに、生きている内にやっておきたいこと。カミ様が後々苦労しないように生活費の問題もそうだが、家周りのことなども、それなりに整理整備してきた。また、靏一族の納骨堂の改良工事も進めている。我が家もまだ手入れをしようと思えばしたいところもあるが、せめて、最後の恩返しに、いつも豪雨で荒れていた道路の舗装も含めて、喜んでもらえることをやっておきたい。  

これからの新しい目標は、まず、ゴルフ仲間やリタイア組戦友とのゴルフ。6月に海釣り旅行。7月には北陸旅行。年内には次男の結婚式と、いつもの家族との、おそらく国内旅行。9月は娘の出産。イロハを海外旅行に連れて行く約束をしていたが、それが叶うかどうか。とにかく、楽しいイベントを計画して、それまで頑張れば死なない(笑)。      

昨夜は、料理店の経営者2組を、我が家の前の川のホタル観に誘った。幸いに前夜の数倍に増えて鑑賞に堪えた。今日は午後から、毎月、ゲン担ぎに買っている鯉を仕入れに行く。今月は、消毒はしたものの、手後れだったのか3尾の鯉が、私の身代わりになって逝ってしまった。調べてみるとイカリ虫という鯉の寄生虫が原因らしい。悲しいが、これが生き物を飼うということだ。今日はさすがに、昨日の舗装工事で体のあちこちが筋肉痛だが、やはり、労働したことは気分がいい(笑)。後で、みんなが、言ってくれれば手伝いに来たのにと言ってくれたが、確かに、舗装後の状態を見ると、手伝ってもらったが良かったカモ(笑)。

 - 雑記

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