鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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今日は、絵の個展の張本人であり、合唱でお世話になっている美魔女ピアニストのご要望で描いた絵を無事に引き渡すことが出来た。私は、人物と生物を主に描いてきて、風景を描くことは少なかった。風景を描きにいく時間が少ないのと、なかなか描きたいと思わせる風景が近くになかったからだ。しかし、本当に上手い人は、その辺の平凡な風景を、本当に上手く描く。その点、私の場合は、まだまだ風景を選ぶレベルだ。今回の絵は、10年くらい前に、福岡の志賀島を回って下描きしたものを仕上げずにいたもの。その絵を元に、6号と10号の2枚を仕上げ、大きいサイズの方は、彼女と同じ夕景が好きだと言った、私が親しくさせて貰っている同業の社長に送らせてもらった。先日の個展の際も、私の見舞いを兼ねて、東北から足を運んでくれた。自分が描いた絵が、親しい、または信頼できる、尊敬できる人の元に残ることは有難いことだと思う。そして、その絵が、少しでも癒しになったり、部屋の雰囲気作りに役立つなら、そして欲を言えば、私の思い出となってくれれば、描いた甲斐もあるというものだ。     

彼女が、絵をフェイスブックにアップしてくれたために、彼女の友達からも幾つかのコメントを頂いた。絵心のある人が観てくれると、思ってもいなかった有難いコメントを頂く。そこで、思った。私も、人の絵を観て、感動することがあったし、さりげない絵に惹かれることがあった。それは、絵だけでなく、写真でも、彫刻でも、焼き物でも同じ。作品というものは、描いたり作ったりする人だけでは成り立たない。その作品を観て、感じてくれる人があって初めて成り立つのだと思う。      

どんなに、細密に描かれたり、派手に絵付けされていたり、個性的に作られていても魅力を感じない作品もある。やっぱり、作品には才能も魅力化もしれないが、年季というものが魅力を生み出しているようだ。自分が、より良い作品、納得できる作品を創り上げようとするほど、失敗し、悩み、やり直し、出来上がったと思っても、見つめ直すと納得できない。またやり直す。そんな繰り返しの末に、年季をかけて出来たものは、やはり深みがあり、魅力がある。もちろん、人柄を表す作品もある。それはそれで心地良いものだ。     

例えば、ゴッホやゴーギャン、ピカソのように、写実的な技量がありながら、突き詰めた後に、そんな絵に飽き足らず、あの独特の画風を創り上げた、彼らの抽象画と、美大で学んで2~3年で完成品として発表する抽象画は、深みや重みが全く違う。また、製作に打ち込んで、命まで削って仕上げた絵と、お金を稼ぐ道具として、または趣味で描いた絵は心に届くものが違う。    

私は、以前は、公募展などに入選するための絵を描いた。次に、相手に気に入られる絵を描いた。今、末期癌という、いつ死ぬかわからない病気になって、時間も余裕が出来、初めて、自分の好きなように描けるようになったし、絵に向かう歳もそれなりになってきた。そのお陰で、描くものに素直に向き合えるし、肩を張らずに描けるようになった気がする。ただ、残念なことに、以前のように長時間描くことが出来なくなった。休み休みボチボチ(笑)     

さて、抗がん剤を今週月曜に打って、以前の2種投与と比べ、味覚異常もなく、副作用も随分楽になったが、それでも3日目から5日目は、腹胸部の痛みや喉の詰まり、そして倦怠感が出てくる。それを誤魔化そうとおやつでも食べると、途端に血糖値が上がって、更に全身に違和感を覚えるというような状態。それでも、頭髪は復活しつつあるし、辛さは全然違う。以前のように立っていられないというようなこともない。こんな状態が当面は続くだろう。当面死ぬような気配もない(笑)

 - 雑記

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