鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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748 突発的入院生活

      2020/04/19

今日は、カミ様が親しくして頂いている方が来られて、いつも私のブログを呼んでいるのに、このところ投稿がないので心配していたとのこと。フェイスブック友達には、そのため、フェイスブック上で投稿していたが、生憎、携帯からブログが投稿できないため、鶴の一声読者には届いていなかったようだ。なので、早速この間の報告をさせていただく。      

八女公立病院の経営が思わしくなく、そのあおりで、私のかかっている消化器内科の先生始め、スタッフが他の病院や他の部所に配転になり、そこの患者も転院を余儀なくされた。最後の抗がん剤治療を3月30日にやるはずだったが、血液検査で胆管の詰まりによる黄疸と肝機能の異常がわかり、抗がん剤は延期。転院のために紹介する病院に一度早目に行ってくれというので、4月2日の誕生日に予約を取りに行った。すると、新しい担当医から、この状態はすぐ手術しないと手遅れになると言われた。4月の初旬は、教育委員としての会議や入学式出席などの行事が入っており、急な事態で抵抗はしたが、カミ様も先生も、命を優先しましょうという強い言葉に、やむなく即入院、午後から手術。手術は、癌の影響で胆管細くなってしまっているため、胆汁が出ずに老廃物が分解されず、血液中に逆流して黄疸を起こし、命の危険があるため、最初にビニールパイプを入れて、その後に長持ちする金属製に交換するというもの。    

最初の手術は、麻酔で寝ている間に、口から内視鏡を使ってあっという間に終わり、その後の経過も良好。担当医が神様に思えた(笑)ただ、それから絶食で栄養は点滴という生活が始まった。次は、8日に金属製との交換手術をしたが、これが30分くらいで終わる筈が、不具合で一度入れたものを抜き取ろうとしても取れず、電気メスで切断したりと大変な手術になり、3時間かかってしまい、最後の1時間は麻酔切れの状態で、さすがに苦しく、手術後も炎症による40度近い高熱が3日続き、24時間体制の点滴。絶食・睡眠不足・コロナで病室を出れない・カミ様とも会えない。     

ただ、4日目くらいから熱も引いて、このまま、落ち着けば、13日に再手術が出来るというので、あの手術の苦しみを思い出しながらも、早く手術して、とにかく我が家へ帰りたかったので、やってくださいと即答(笑)無事、今回の手術は1回目と同じ30分くらいで、寝ている間に終わった。17日に早々と退院。懐かしの我が家に生還。すでに景色は緑一色になり、僅か2週間の内に、木々の芽もすっかり伸びていた。     

帰宅した日の夕方から震えが来て、40度まで熱が上がり、また、病院に逆戻りかと思ったが、カミ様の有難い看病で、朝方には平熱に戻り、一安心。絶食や手術の後遺症で、まだ体力が落ちているが、あせらず徐々に体力をつけて抗がん剤再治療に望みたい。     

病気と言うものは、何か1つ悪いと、それが周りに影響して、次から次に病気を引き起こす。特に癌の場合がそうだが、膵臓癌によって、膵管が細くなり血糖値が高くなる。胆管が細くなり、黄疸を発生する。私の場合肺に転移だが、細胞による転移だから無制限。それを抑えるために抗がん剤治療をするのだが、今度は抗がん剤の影響でも血糖値が上がるし、白血球が減少する。手足先の痺れ、爪の黒色化。今回、抗がん剤を1か月以上ストップしたため、毛が伸び始め、爪の色も改善してきた。始めたら、またなるのだろうが。ただ、今回の手術によって、血液検査の数値が広く改善し、逆に1つ良くなると、他も良くなってくるという証。10月が寿命と言われ、既に6か月が過ぎた。今までも運に恵まれた人生(笑)それに、戦うための武器も沢山ある。カミ様始め、優しい家族。いつも励ましてくれる同窓生や飲み友達、ゴルフ友達、各種団体の仲間たち。丁度コロナが落ち着いた頃には、活動再開できるだろう。それまで希望を持って治療にあたろう。

 - 雑記

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