鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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674 余命

      2019/07/22

例えばの話。ある日、自分の命があと4か月と宣告されたらどうだろう。例え話の時は、そう問われてもピンとこないもの。それは、皆そんなこと起こりえないと思っているからだ。

例えば、現実にそんなことを宣告された場合、狼狽えるのか、自暴自棄になるのか、泣き叫ぶか、それとも冷静でいられるか。

もちろん年齢でも違うが、それまでに何の準備も出来ていなかったら、また想像もしていなかったら、狼狽えるだろう。やりたいことが出来ていなかったり、結婚を考えていた恋人がいたり、幼い子供がいたりしたら、無念だろう。何も考えず楽に生きていたら、自暴自棄になるかも知れない。

しかし、本人がどんな状況であっても、想定外の死が訪れない保証はない。事故死は、何も考えない内に死んでしまうから、本人の苦しみは長く無い。苦しみ悲しむのは残された家族や恋人、仕事仲間や加害者だろう。 

どうすれば冷静でいられるか。それは、前にも触れたが、まずは、その事実を受け入れることだ。では、どうしたら受け入れることが出来るだろう。それは人生とは、そういうものだと理解しておくこと。そして、常に万一のことを考えて悔いなく生きておくことと、日頃から家族のため、会社の為、自分のために準備しておくこと。後は覚悟が出来るかどうか。覚悟が出来れば、死も受け入れられるし、受け入れることが出来れば覚悟もできる。 

家族や仕事をもっている人間が、仮に半年で死ぬとわかったとき、何をすればいいか、どう、それからを生きればいいか。  それは人それぞれの生き方や価値観で違うが、共通することはある。それは、第一に家族や会社が困らないように、出来るうちに済ませておくこと。生活資金。貯金や財産の始末。相続手続き。借金などがあれば、その整理。会社員であれば、会社が損失を蒙らないよう、仕事や取引先の引き継ぎ。経営者であれば後の体制作りや株式の処理も必要。

どうせ死んでしまうのだから、もういい加減でいいと思ったら、それで、今まで築いてきたその人の人格は崩壊する。身体は死んでも、その人の思い出、そして信用や信頼は生き続ける。一緒に過ごした家族や仲間も生き続ける。

どう生きればいいかというのは、その時の病状にもよるので一概に無責任には言えないが、私がそうなった場合は、家族や仲間のためにも、出来れば、最後まで前向きに明るく生きていたいと思っている。子供たちのためにも生き様も最後まで貫きたい。そして願わくば、生きた証となるようなものが残せたらいい。取り敢えず5年くらい(笑)

人には免疫とか抵抗力というものがある。気持ちの持ち方や、精神力で、その対病免疫力が高まったり、弱くなることは検証されている。笑う門には福が来る。泣きっ面に蜂。諺とは統計的真理だ。 

昔から、保険をかけておけば死なないというが、常に万一の時の準備と覚悟をして、元気に生きるのが一番(笑)

 - 雑記

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