鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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602 兼高かおる

   

 兼高かおる。
この名前を知っている人は、それなりの年配か、海外旅行愛好家。
兼高さんは、米国留学後に英字記者となり、そのご旅行作家、テレビのナレーターなどで活躍した女性で、1960年当たりから30年ほどの長きに渡り、「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組で、世界の旅行地を紹介していた。
 その頃の海外留学、しかも女性ということから、それなりの家庭環境か、余程の秀才であったことは確かだろう。

 長く名前を聞いていなかったが、今朝の新聞で亡くなったことが載っていた。
1960年と言えば、我が国もまだ復興期。庶民が世界を旅することなど稀の稀だったが、その番組を観ていると、いつかは、あんな所へ行きたいという思いが沸いたものだ。
 恐らく、当時、そのように思った人は少なくないと思うし、間違いなく、海外旅行の発展にひと役買ったのも間違いない。

 確か、音楽は葉加瀬太郎の独特のメロディで、今も流れると、その番組を連想するほど、音楽と映像、企画がマッチしていた。思い違いかも知れないが。
 往年90歳と言うから、開始当時は30歳前半だったのだろうが、語りも上品で知性が感じられたのを、幼いながらに覚えている。
 今のバラエティ番組のような笑い受けする内容ではなく、ただ、その土地と暮らしぶりを紹介するという番組。もちろん、バラエティ番組が当時は、そんなに無かったと思う。
 喜劇はあった。「てなもんや三度笠」「お笑い三人組」「番頭はんと丁稚どん」笑

 私も、当時は、自分がこんなに海外に行く機会が生まれるとは、思ってもみなかった。
元々、冒険好きで怖いもの知らず、高校卒業して、すぐアメリカに渡ったのも、もしかしたらその番組の影響を受けていたのかもしれない。
 人の生き方に、影響を与えることは、良し悪しは別にしても、凄いことだ。

 私のブログも、生き方に影響するようなものでは無いが、何かの場面で役に立てば有難いと思う。
 年を重ねる毎に、付き合う人間も変わってくる。古い友達も大事な存在だが、やはり、仕事や現在の生き方に合わせて、付き合う人が新しく出来ることも大事だ。
 そういう意味では、私は、友人知人に恵まれていると思う。
昨年も、素晴らしい人達に出会えたし、今年も新年早々に、新しい良き友人が出来た。
 私も、相手にとっても、そうでありたい。

 - 信念, 雑記

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