鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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529 また一人

   

 先週、私が今の会社に入った頃の先輩の息子から電話だと言うので、また、こちらに帰ってくるので寄りたいという話だろうと思って、電話をとった。
 ところが予想に反して、彼の父親である先輩が亡くなったという知らせだった。
私は、10年前に、私の親友の息子から、父親が倒れたという電話をもらい、そのまま、この世を去った出来事を思い出した。彼はまだ57歳だった。

 先輩は76歳だったが、現代の我が国の寿命からは、まだ10年早いし、最後にあった時の印象では、まだまだ元気だったから、突然のように感じたが、顎部の癌で、入院して3か月ほどの命だったらしい。
 息子は、同業他社に勤めていたから、先輩が退社してからも、時々顔を出してくれていたので、先輩が退社して20年ほど経っていたが、知らせてくれたのだった。
 それに、奥さんは、先輩の退社後も、数年前まで会社で働いていてくれたという縁もあった。
 私が入社した時、彼は研究室の責任者で、品管や開発などを殆ど1人でやっていた。
もともと、真面目でおとなしく、怒ったり、人の悪口を言うなど全くなく、どちらかと言うと学者肌の人だったが、やむなく、工場長の後任を任されたことで、工員や部下との人間関係が上手くできず、会社も、円高や海外からの輸入急増、経営者一族の問題など、一番厳しい時とも重なり、定年前に退社した。
 その後、大手電気チェーン店の外商などを終えて、珠に会うと、孫も出来、穏やかに暮らしていると聞いていた。
 優しい・おとなしい人間は、上手な生き方が出来ず、損をすることがある。

 葬儀には、会社の代表と、昔の同僚という二つの立場で参列したが、その昔の他の同僚も何人か来ていたが、みんな久しぶりに会う顔で、みんな随分歳をとったなぁと思う反面、そういう自分も歳をとったことを感じさせられる。
 また一人、知人が無くなり、新しい知人が出来る。しかし、10年も20年も共に過ごしたり働いたりした人が亡くなるのは、やはり寂しいものだ。
 彼の人生は、彼にとってどうだったのだろう。祭壇の写真を見ながら、研究室での面影や、慰安旅行の思い出を回想していた。

 どんな痛みも苦しみも、死を迎えれば全て無くなる。
痛みや苦しみを伴うのが人生。それを感じるのが生きている証拠なのだ。

 

 - 信念, 雑記

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