鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

818 稀有な経験

   

私は、会社でも、特別な時期に入社したことで、運がいいのか悪いのか、普通のサラリーマンでは経験できないような経験をすることになった。会社に入る前にも、思い出せば、結構、人があまり経験しない体験をしてきた気がする。

まず、最初は、小学校に入る前だから6歳の時。近所の顔見知りの中学生に連れられて、家から20キロ以上離れた黒木の藤祭りに行った。行きはバスを乗り継いでだったと思う。ところが、彼は家のお金をくすねて遊びに来ており、怒った彼の父親が行先を探し当てて、連れ戻しに来た。それが自転車だったかバイクだったか定かではないが、その速さと当時の生活から、エンジン付きの自転車だったような気がする。

田舎では、まだ車を持つ人がほとんどいなかった時代。計算すると、昭和32年ということになる。我が家に車が来たのは、恐らく、それから6~7年後。それまではバイクだった。オートバイと読んでいた。

それで、私は置いて行かれると思い、その後を一生懸命付いて走ったが、6歳児の足では知れている。やがて、そのバイクはどんどん遠ざかる。その中学生は独り者のワルがきだったが、時折、後部座席から後ろを振り返り、私のことを気にしていたような記憶があるが、私を連れてきていることを父親に言わなかったのだろう。

バイクに置いて行かれ、バイクの行った方向を目指しながら、走っては休み、走っては休み。その内、周りは暗くなり、あちこちの家の灯りが灯り始める。今のように舗装された近道もなく、八女市の山内から忠見地区を遠回りするような形で走った。このルートだと藤祭り会場から我が家までは30キロ近くになる。もう、辺りは真っ暗。時間は後で分かったことだが午後10時を過ぎていたようだ。ついに、思い切って灯りの付いている1軒の家の玄関を叩いた。中からは優しそうなおじさんが出てきて、事情を話すと送ってくれると言う。とりあえず準備するからと、家の中に招かれお菓子を頂いたような記憶がある。安堵感はあったが泣くことは無かった。

これも後で分かったことだが、そのおじさんは学校の先生で、家は酒井田という、我が家から2キロ余りの所まで辿りついていたらしい。我が家では、近所の人が集まって大騒ぎ。帰った後のことは、殆ど覚えていない。翌日、両親と、その先生の家にお礼に行ったのは覚えている。

この事件以降、懲りたかと言えば、全然懲りていなかったようで、その後も冒険心に燃え続けた(笑)。小学校高学年の時、満州に行って馬賊になりたいと友達と密入国を計画したり、高校ではヒッチハイクで奄美に行って台風で帰れなくなったり、念願のアメリカに渡ったり。アメリカでも、以前のブログ「アメリカ物語」で紹介したが、やはり稀有な経験をした。かなり以前の投稿なので、読んでいない人のために、次のブログでいくつか紹介させてもらおう。

 - 雑記

  関連記事

鶴の一声
季節は新緑
鶴の一声
朝の風景
鶴の一声
813 2年目の桜
鶴の一声
556 ハードスケジュール
鶴の一声
857 1泊2日
鶴の一声
678 娘嫁ぐ
鶴の一声
親の心子知らず
鶴の一声
アメリカ物語1
鶴の一声
861 沖縄
鶴の一声
秋の音色