鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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法事

   

 今日は、商用で訪ねてきた人が、鶴の一声ブログ読んで、元気づけられましたと言ってくれた。
正に、ブログ冥利に尽きる。
 このところ、あまりブログの反応を聞く機会もなく、反応もシステムの不具合で読んでくれている人数も分からないので、続けようかどうかと思っていたこともあり、一人でも、そんな風に受け取ってくれたら、やっぱり、もう少し続けようと逆に元気づけられた気分。
 ちょっとした、人の言葉で、人は元気になったり落ち込んだりするものだ。

 昨日は、9月9日、親父の25回忌。時期的にも多忙な時期でもないので、そのまま命日に法事をすることにした。
法事・法要とは、亡くなった人の命日に、親族や親交のあった人が集まって、その人を偲び供養をすること。
 施設に入所している私の母、兄弟、子供たちや甥姪、叔父などが集まり、お寺さんにお経をあげて頂き、その後みんなで「おとき」という会食をする。
 昔は、その家で女性軍がみんなで準備をして賄ったものだが、今は「持ち出し」と言って、会食は料亭などですることが多い。
 我が家も、その「持ち出し」にしたが、もう25年なので、みんな賑やかに酒も飲んで昔話や世間話、子供たちの話に花が咲く。
 近年、世帯の年齢が若くなったり、核家族化が進んだり考え方も変わり、家族が無くなって、初命日・3回忌くらいまではするが、その後の法要はしないという家庭も多くなっているようだ。
 確かに、催事というものは大なり小なり大変だ。特に家庭の主婦はそれなりの準備接待が必要になる。

 しかし、今、世界が注目している日本人の心・おもてなし・日本の文化は、やはり学校教育以外のこういう行事が育んできたのではないだろうか。
 家内が、今度結婚した息子の嫁に、どういうことをするのか覚えておいてもらおうと言っていたが、またここで一つ伝承が生まれるわけだ。こういう行事を一緒にすることで、嫁姑の中も近くなる。

 法事は、死んだ家族が、残った家族がたまには集まってお互いの無事を確かめあったり、旧交を温めたりする機会を作ってくれているように思う。
 案外近くにいても会わない親族もいるもので、結婚式は、若い者がいて結婚しないと会うことができないが、法事だけは必ず巡ってくるものだ。

 - 信念, 社会, 雑記

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