鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その24

   

 藤代は、その観衆の中からじっと見ていた。
丁度、藤代の隣にいた高校生の中から、「おい、あれは田川先輩じゃないよな」「えっ、でもうちから出ているのは田川先輩だけだぞ」「でも、あれ、どうみても違うよ」
そんな声が聞こえてきた。
 藤代は、その同じ高校の後輩であろう二人から話を聞こうと思ったとその時に、少年はスタートを切った。
 スーッと走ったかと思うと、軽々と足を蹴り、宙に舞ったが、誰もが棒の高さと身長から見て、バーを越えるのは無理な高さに向かって跳んでいるようだと思った。
 すると、少年は棒の一番上に手を添えて、曲芸の逆立ちのような、そして鉄棒で大車輪をするような形で、最高地点で棒から手を放し、宙で一回転してバーを越えたが、それはバーの高さを更に一メートル以上も高い位置だった。

 一瞬、観衆は呆気にとられ、その後「ウォー」という歓声が起き、ざわめきが鳴りやまない。都大会で想像もしない世界記録が目の前で超えたのだから当然だろう。
 跳び終わった少年は、あっと言う間に観衆の中に入り込んでしまった。
審判や観衆がどこに行ったのか探すが見つからない。
 そんな中に、「あの人、さっきのヤリ投げの人に似てない」「でしょー、私もそう言おうとしたの」そんな声が聞こえたが、当人はもう見えない。
 その頃、田川と長谷川がユニフォーム姿のまま、競技場に戻って来たのを気づく者は誰もいなかった。

 審判団は、今の跳び方が問題ないのか確認しているようだったが、問題なければ、高校生のオリンピック選手誕生と言う快挙となる。
 藤代も、少年の後を追ったが見失ってしまった。
だが、カメラにはプロがちゃんと収めているはずだし、品川高校ということも分かった。
 引率で来ている教師もいる。
「とにかく、ただものじゃない。明日からだ。明日から正体を探ってみよう」焦る気持ちを抑えて、自分にそう言い聞かせていた。
 競技場には、訳も分からず、記者や関係者に取り囲まれたゼッケン二十八と三十三のユニフォームに身を包んだ田川と長谷川がマイクとカメラ、そして質問攻めを浴びていた。

 翌日の新聞には、スポーツ欄に限らず、替え玉出場、驚異の新記録、謎の高校生などの記事が躍った。
 ただ、どこの新聞社のカメラにも、その選手の全景は撮れているものの、カメラの方を向いた顔写真が一枚も無かった。
 記事の内容は、本人たちが高校へ戻るため、一時競技場を離れている間のことで、自分たちは出場していないというもので、代わって出場したのが誰だか全く分からない。

 主催者側の調査結果はこうだった。
とになく、都立品川高校から、本大会にヤリ投げと、棒高跳びにそれぞれ一人ずつの選手がエントリーし、国立競技場に来ていた。
 引率の陸上部の顧問の教師とは、競技場で午前十時に待ち合わせして、エントリーの手続きは、それまでに、その教師が済ませておくということで、本人たちは午後からの競技に合わせて、軽くウォーミングアップして弁当を食べるところだった。ところが、二人の出場申請で問題が起きたと言うことで、学校から呼び出しがあり、品川高校へ帰ってみたが、誰もいなかった。
 だから、仕方なく三時を回った頃に、もう一度、競技場に戻ったら大騒ぎになっていた。という内容だった。

 結局、エントリー手続きはその教師によって正しくされており、誰か別の生徒が、二人に代わり品高のユニフォームを着て、同じゼッケンを付け、両方の競技で、共に桁外れの記録を出し、そのまま消えてしまったことになる。
 翌日、この発表が行われると、会見場には熱気が溢れ、テレビの前も、その「謎の少年」の話題で沸き立った。
 恐らく、今日は、記者連中も大会関係者も品川高校へ押し寄せるはずだ。
藤代は、あの引率で来ていた女教師一本に絞る戦法だった。その少年と競技中に話していたというから、彼女が身代わりであることを知らないはずがない。
 名前は、引率者名簿に丸山美穂と記入されていた。

つづく

 - 恋愛, 雑記

  関連記事

鶴の一声
和の世界
鶴の一声
徒然に
温泉で一杯
洒落
鶴の一声
620 季節を楽しむ
鶴の一声
忘年会
鶴の一声
週刊実話
鶴の一声
アメリカ物語3
鶴の一声
たぬきの里 信楽
鶴の一声
640 入学式
鶴の一声
喜寿の祝い