鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その23

   

 その頃、品川高校では変な事態になっていた。
陸上の都大会に行っているはずの田川と長谷川の二人が帰ってきていた。
 しかし、日曜で当直の事務員以外に誰もいない。
校内のあちこちで、一年と二年の部活練習をやっているようだが、自主活動のようで、教師は出ていないようだ。
 先に帰ったはずの丸山も見当たらない。
職員室を出て、教頭室も覗いてみたが、誰も居らずシーンと静まり返っている。
 二人とも訳が分からず、結局、事務員のアドバイスで、もう一度競技場に戻って、どういうことか大会本部に聞いてみようということになった。
 もう、二時近くになっているので、恐らく長谷川のヤリ投げは終わっているはずだ。
長谷川としては、どうせ十位以内にも入る可能性はないのだから、出場出来なかったことは、それほどショックではなかった。
 田川も、恐らく競技場に着く頃には、棒高跳びも始まっているはずだが、大学でも続けるという気持ちもなく、それほどの執着もなかったので、かえってホッとした気持ちさえ覚えていた。
 棒高跳びも、ヤリ投げと同様、都の予選で勝ち上がった二十人で、下位の選手から跳ぶことになっている。
 田川は上位から十四番目。
棒高跳びは、どちらかというと高校ではマイナーな競技で、都内の高校でも参戦している校数は少なく、田川もそれほどの高さを跳ぶわけではないが、予選成績では十四位となっていた。

 こちらの会場も、先ほどのヤリ投げの出来事で、観衆は殆どいない。
下位から順番に選手が跳んでいくが、予選を勝ち抜いてきただけに、下位の選手でも四メートルは超えてくる。
 予選での田川の記録は四メートル八十五、トップの選手が五メートル二十となっていたが、これは相当高いレベルだった。
 高校の記録は、浜松市立高校の笹瀬が出した五メートル四十一。大学となると近年、日本代表として活躍している澤野が、二千五年に出した五メートル八十三が未だに破られていない。
 最近では、今年六月に中京大の山本が跳んだ五メートル七十五。

 世界記録は、もちろんあの鳥人ブブカが持つ六メートル十四だが、その後二十年も破られていないということは、この辺が人間の跳躍の限界かとも思われる。
 さて、一巡目はバーの高さも四メートル七十とあって、殆どの選手がクリア―し、落とした三人だけが跳び直し、結局全員クリアーした。
 クリアーしても、殆ど観衆がいない。辛うじて残っているのはマネージャーだろうか、それとも恋人だろうか、数人の女生徒がベンチからパラパラと拍手があるだけだった。

 三巡目でまた事件は起きた。
三巡目までをパスした、品川高校の田川と言う少年が、バーの高さの一メートルも高いと思われる高さを跳び、審判団を驚かせたのだ。
 バーの高さは五メートルになっているから、もしも、これより一メートルも高く跳んだとしたら世界レベル並みの高さを跳べることになる。
 ヤリ投げの方が、三回目には一番遠くに投げた選手が出なくなったことで、騒ぎが静まりかけたところに、丁度、この異変に観衆が気づき始めた。
 ヤリ投げの競技場にいた人々が、「また、何か起きたのか」というように、少しずつ五十メートルほど離れた棒高跳びの競技場に動き始めた。
 その中に、何かを見つけようと目を配っていた藤代もいた。
 競技は、四巡目を終えて、五メートル十をクリアーした八人の選手で、順次十センチ刻みでバーを上げていき、やがて一人、二人と脱落し、五メートル三十センチを超えたところから五センチ刻みとなったが、現在のバーの高さは五メートル三十五。
 さすがに、ここまで来るとクリアーできたのは一人だけとなった。
品川高校の田川、ゼッケン二十八番、一人だけ。
 あと六センチで高校記録に並ぶ。

 一人だけの競技となって、バーの高さは四十センチまで上げられた。
みんなが固唾を飲んで見守る中で、その田川少年は軽々とクリアーした。
 みんなが思った「えっ、また品川高校の生徒」
既に、棒高跳びの競技場や、すぐ横のベンチにはかなりの観衆が出来た。
 丁度、先ほどのヤリ投げの競技場と、観衆の数が入れ替わったような状態だった。
棒高跳びの棒を引きずってきたその少年は、引率の丸山の方に近づいて、二人で何か話している。
 そして、最後に丸山の言うことに頷いた仕草をして、踏切線の上に立った。
やがて、場内放送で、田川選手がブブカの持つ世界記録に挑戦するというアナウンスが流れた。
 前代未聞のことながら、残ったのは一人だから、これ以上は何メートルに挑戦しようが本人の自由である。審判団も拒否する理由はない。
 バーが六メートル十四という位置に上げられた。二階建て家屋の屋根の高さになる。
近くにいた者は、流石にその世界記録の桁違いの高さを実感した。
 高跳びや棒高跳びでは、ある程度の高さに到達すると、それからの
 とても、高校生の跳べるレベルではないと、みんなが思った。二センチ、三センチが大きな壁になるという。
 この挑戦を、中には、ジョークか余興ではないかと思った者も少なくなかった。

つづく

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