鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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神座

   

 神座と書いてオザと呼ぶ。
今では、都会では昔から伝わってきた風習が無くなりつつあるが、田舎に行くほど、まだまだ受け継がれている。
 私たちの地域に、その中の一つ、神座がある。
これは、年末になると、地域の幸せや豊穣を願って、神様を家に迎い入れてもてなす儀式で、本来は家を回しに、その年の座元に当たる家が、海山の幸として鯛や野菜、酒などを飾り付け、玄関にはしめ縄を飾り付ける。
その座元を助ける座組として数軒の家がグループで儀式の準備をしたり儀式に参加する。
 儀式は、その地域の神主が執り行う。

その地区の軒数が多ければ、数十年に一度しか回ってこないのだが、年々地区の軒数が減り、老人一人の家もあることから、今では自宅でなくて、地区の公民館などで行われることも多いし、順番も数年で回る所も少なくない。
 確かに、準備が大変で、日にちも決まっており、平日でも行われるため、若い世帯ではもうやめることが出来ないのかという意見もあるようだが、神様のことだけに、そう簡単に止める訳にもいかない。
それを止めたために、その地区に災いがあったとなると責任重大だ。
 また、座組が男も女も集まって一緒に準備をする。これが、田舎の良さでもあるのだ。

ただ、いつまで続けられるだろうということになると疑問である。
 私は、神や仏を否定はしないが、存在については、人の心の中にあるという信念なので、儀式的なものについての執着はない。
これらの儀式は、全て人間が始めたことで、神様自身が始めたわけではないはずだ。
 しかし、その儀式を行う姿勢や、行うことに意義はあると思っている。だから、やれる間は続けた方がいいと思う。
このような伝統を、人が無くしてしまった時は、恐らく人心も変わり、人の生活や考え方も変わってしまい、より合理的に行動する新時代になっているのだろう。
 そして、遺跡が今発掘されて想像されるように、この時代の儀式やしきたりも、後世に発掘されて思いを馳せられるのだろうか。
 

 - 社会, 雑記

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