鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その16

   

 三沢みずきは、二年生の二学期を迎え、吹奏楽部の新部長に推されていた。
三年生は大学受験に向けて早、受験モードに入るため、各部ともこの時期に部長を交代するのが慣例になっていた。
 先週、校内で三年生の卒部演奏会を終え、今週は中間テスト前で練習は中止となり、早く帰ることになっていた。
 まだ、公式戦を間近に控えた運動部の中には、それでも時間を短縮して練習しているところもあり、そこは各部の顧問とキャプテンとの判断に任されていた。

 みずきが校門を出ると、関矢が前を歩いており、丁度交差点の角を曲がるところだった。 
みずきは、一年前のあの坂道での出来事や、競技会のことがまだ気になっており、家も近くのはずだからと思って後をつけてみることにした。
 探偵にでもなったような気がして、少しドキドキする高ぶりが何とも心地よかった。
やがて、関矢は、交差点を過ぎて、校舎を取り囲むように続く桜並木を抜けて、次の角を左折した。みずきは見失うまいと小走りで後を追った。

 住宅街の角をいくつか曲がった後、直線で五十メートルはある道路で見失ってしまった。
「あれっ」と思って次の角まで出てみると、そこは品川高校の野球部のグランドが見える。
 品川高校は、創立百年を超える私立高校で、校舎の他にも高輪一帯にグランドやテニスコートなどを持っており、これだけの一等地にこれだけの広い野球グランドを持っていること自体が贅沢な感じがした。
 小走りで近づくと、丁度センター付近の塀の外に、確かに関矢と思われる学生が立っている。
 関矢以外に、周りに人もいないので、みずきは思い切って声をかけた。
「関矢君は野球が好きなの」
関矢は、後ろから声をかけたみずきに驚いた様子もなく頷いた。
「そんなに好きなら、入部すればいいのに。今からでも一年間はできるじゃない」
「いや、野球はやったことないし」
「そんなに好きなのに、小学校や中学校ではやらなかったの」
みずきの問いかけに、関矢は黙って頷いた」
「中学校では何をやってたの? 前にね、走り高跳びで記録作ったでしょう。あれから陸上部に入るのかなって思ってたの」
関矢は、今度は首を横に振った。「何もやってない」ポツンと答えた。
 みずきが関矢と同じクラスになって一年半経つが、陸上大会以来、クラスで人気者になってみんなと打ち解け合っているように見えたけど、やっぱり言葉は少ないなと思っていた。

 その時、バッターの打った球が大きくバウンドして、一メートルほどの柵を超えて、丁度関矢の足元に転がってきた。
 試合ではないらしく、二塁手が手を振って、投げ返してくれるよう頼んでいる。
同じように、ホームベースでも、大柄のキャッチャーがグローブを突き上げて何か叫んでいる。
 関矢は、ボールを拾って、ひょいと柵を乗り越えると、サイドスローのような格好でボールを投げ返した。
 関矢の手を離れたボールは、すごい勢いで二塁手の頭上を越え、ホームベース上のキャッチャー目掛けて飛んでいった。

 ズバーンという音と共に、ボールはキャッチャーの構えたグローブに収まった。
それを見た選手や、その音を聞いた選手は一瞬驚いて静まり返った。
 そして、ボールを受けたキャッチャーとピッチャーをしていた選手が一緒に走ってくる。
呆然としていた他の選手も、少し間をおいてバラバラにその後を走り寄ってきた。
 ピッチャーをしていたのは、関矢と同じクラスの田中という生徒で、進学校の品川高校でも野球しか頭にないと言われる野球好きで、中学生時代はリトルでも活躍し、投げてよし打ってよしの、二年では最も期待されている選手だった。
 キャッチャーは、同じ二年生で、体重は百キロ近くはあると思える大柄の池田と言う生徒でみんなから頼りにされ、三年が引退してからは全員一致でキャプテンに推されていた。

「関矢、お前、野球をやってたのか」少し息を上げながら、興奮気味に田中が言った。
「いや、みんなのを見て、だいたい分かるけどやったことはない」
「今の球、凄いぞ!センターオーバーをバックホームで、三塁走者だってアウトに出来るぞ」
池田が続いた。
「イチローより凄いんじゃないか」後ろの方から誰かが言った。
「もう一度、投げてみてくれ」そう言うと、池田はホームの方に声をかけ、控えの選手にホームベース後方に座るよう指示して、キャッチャーの構えをさせた。
「あれに目掛けて、もう一度投げてみてくれ」そう言って、ボールを手渡した。
関矢は、ボールを受け取ると、さっきと同じようにサイドスローから投げ込んだ。
 ボールは、多少曲線を描いたように、そしてまるで加速するように構えたグローブのど真ん中にズバーンと音を立てて収まった。
 周りの選手からは「何だこりゃあ」「すげー」「うそだろー」そんな言葉が次々に発せられた。
 池田は「確か、田中のクラスの関矢だったよな。ちょっと来いよ」そう言いながら、関矢の腕を掴んでホームの方に歩き出した。

つづく
 

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